連休にApple Storeへ

先週の連休、日曜は街へお買い物に行った。JさんがおNewの靴を、私はブルー系のシャツをGet。食事は銀だらのおいしい和食の店。帰りにデパ地下で栗きんとんを買って帰宅。

月曜日は森林公園をウォーキング。なだらかな登りを1時間ほど。帰りにすき焼きの材料を買って夜はすき焼き。京都風すき焼きに挑戦するもなかなか味付けが難しい。

日曜日にApple Storeにも寄ったのだが、ジョブズ氏へのたくさんのお花や林檎をみてうるうる。私もメッセージを書いたメモを残してきた。

ジョブズ氏が亡くなったことを悲しむ人がこんなに大勢いて、実際自分も悲しいわけだが、冷静に考えてみればこれってスゴイことだ。だってソニーパナソニックのお偉いさんが亡くなったからって、末端ユーザーが献花したりするかどうか?いやしないだろう。何でジョブズ氏の死がこんなに悲しいのか。

ひとつにはジョブズ氏が顔の見える経営者だったから、だろう。新製品を発表するプレゼンテーションを自ら、しかもラフなジーンズ姿で行う。ジーンズのポケットからiPodを取り出してみたりする茶目っ気を交えて。

ちなみに私が初めてジョブズ氏のお顔を覚えたのはiMac発売当時にMac雑誌に載ってたこの写真。

あぐらをかいてiMacを抱えているのだが、「おいおい、重いやろそれ。」と思ったのを覚えている。その後もニュース映像などでで何度か彼の姿を見ているうちに、「Appleといえばジョブズ」という刷り込みが知らず知らずのうちにできあがっていたのだ。ジョブズ氏がもし普通にスーツ着てプレゼンしてたらここまで印象的じゃなかったかも。

そしてもうひとつの理由は、Appleの製品自体がどれも有機的で感情移入しやすい、愛着が湧きやすいから。外観デザインも丸みを帯びて可愛らしいものが多かったり、OSのインターフェイスも、まるでMac自体が感情を持っているかのような見せ方が上手かった(Happy MacやSad Mac、爆弾マークなど)。

OSXになってからはややすっきりし過ぎた感もあるのだけど、それでもアプリ起動時にぴょんぴょん跳ねるDockアイコンはやっぱり可愛い。iPhoneiOSでも、アイコンの並べ替えするときにアイコンがふるふるするのとか、どこか生き物っぽいのだよなあ。

筐体デザインにしても、カラフルiMacや白iBookの頃に比べると現行機種はアルミ(銀色)が主流になって、すっきりしてきている(地味になったとも言える)。でも、背面の林檎マークが光ったり、蓋を閉じると“まるでMacがすやすや寝息をたてているような”リズムでスリープランプが明滅する様子はやっぱり生き物っぽい。

ユーザーにとってMaciPhoneは単なる機械ではなく、可愛いペットのような、それでいて頼もしい相棒のような存在。ジョブズ氏はそれを作り出したお父さんのような存在なのかな。だから私はジョブズ氏の死が悲しいのだ、たぶん。