働かざる者喰うべからず

久しぶりに母と電話したのだが、農家は農家でいろいろ大変だという。実家は葉たばこ農家で、今回のJTの廃作推進(廃作するとお金がもらえる)により、ご近所の農家の半数ほどが葉たばこ作りを辞めてしまうのだそう。実家は「残留」を選んだ。しかしたばこ農家の総数が減ることで、葉たばこに関する共同施設の維持管理問題などいろいろな問題が出てきているそうだ。

今時たばこを吸う人は減る一方なんだし、葉たばこ辞めて他のもの作ればいいじゃん、と、農業を知らない人間はそう思いがち(私も)。しかし母に言わせれば、長年作り続けてきてノウハウを蓄積してきたものを、そう易々とは捨てられないそう。それに、今から他の野菜などを作るとしても、勝手が違うのですぐにはうまくいかないかも知れないという不安がある。家で食べる分だけというならともかく、市場に出荷できるクオリティの野菜を作るのはなかなか難しいのだ。

また、たばこの場合は作ったものを全てJTが買い取ってくれるという保証がある(ただし作付面積はJTからの指導、管理の下に制約があるそう)。しかし他の野菜などではそういう保証がない。たくさん収穫できたらそれだけ利益が上がるわけでは無く、相場が下がってしまって豊作貧乏になることもある。今年のように津波や水害で野菜不足のときは良いかも知れないが、そういう自然災害は事前には予測不可能。工業製品のようにきっちり生産調整するわけにはいかないのだ。

とりあえず野菜と米作っとけば飢え死にすることは無いかも知れないが、農家だって農薬や種苗の購入、農業機械や車(農家は軽トラ必須)の維持、人付き合い(冠婚葬祭)など現金は必要。けして楽じゃ無いのだ。

食料って人間が生きていく上で欠かせないものなのに、農業では儲からない。現代人はお金があれば食料が手に入ると思っている。自分も含めて。本当はすごく、すごく間違っている気がしてならない。

「働かざる者喰うべからず」って言葉がある。最近私は、この言葉を「自分で食べる分は自分で汗水垂らして作れ、もしくは農家の人と同等の労働をして人様の役に立って初めてご飯を食べて良いぞ。」という意味に解釈すべきなのではないかと思っている。

実家の農業は手伝えない(すまん母ちゃん)けど、とりあえず人様のお役に立てるように明日も頑張る。