大奥〜永遠〜「右衛門佐・綱吉篇」感想(少しネタバレ)

映画「大奥」を観てきました。公開二日目のレイトショー、女性客が多かったです。ちなみに私は原作既読、映画一作目とテレビドラマ版も全部見てます。

冒頭、赤面疱瘡による男子の減少という時代背景について字幕による説明あり。しかしこの説明だけで初見の人はついてこれるのかしら…。その後も登場人物名はテロップで出していたが、どうせなら“お褥すべり”などの用語にもテロップで軽く説明を入れた方が分かりやすかったのではないのかしら。

ストーリーはほぼ原作に忠実。しかしいくつか省かれている部分もある。例えば秋本(柄本佑)と妹のエピソードは説明がないままである。映画では“秋本が大奥内のできことを妹絹江に語る”口調でナレーションが入るのだが、原作未読の観客からすれば「絹江って誰?アンタ誰に喋りかけてんの?」状態であろう。また、桂昌院西田敏行)が右衛門佐(堺雅人)を見て「有功さま…!」と驚くシーンも、初見の人からすれば「有功って誰?何驚いてんの?」だろうし。まあ限られた尺の中でやらねばならないので省かざるを得ないのかも知れないけど…。
 
また、クレジット順では右衛門佐(堺雅人)主演となっているが、実質の主演は綱吉(菅野美穂)だった。テレビ版との連動性を強調するために堺雅人を前面に出したのかも知れないが、主役なのに出番少ないって不自然でしょう。原作からして主役は綱吉だし、無理に堺さんを主役扱いにしないで、「テレビ版で有功役だった堺さんが映画版でも重要な役で出てますよ」くらいで良かったのでは。

そしてそうやって右衛門佐をメインにしたいが為にラスト重要な部分を省いている。原作通りに綱吉の最期までやってしまうとおいしいとこ(?)を柳沢吉保尾野真千子)が持って行ってしまう。それでは「右衛門佐と綱吉の究極の純愛」という制作側の意図する主題とずれてしまい、観客も混乱するだろう、という配慮が働いたのだろう。意図的に最期までやらずにその手前で物語を終わらせている。えええ?そこで終わり?みたいな終わり方だった。

正直、オノマチが柳沢吉保をやると聞いて「あのラストをオノマチがやるのか!観たい!」と思って劇場に足を運んだオノマチファンの私としては、この改変は頂けなかった。何じゃそりゃ、と。そりゃ男女の純愛って形で盛り上げた方が世間には分かりやすいかも知れないけどさ、あの綱吉の最期を描いてこそ「よしながふみの大奥」なんじゃないのか。

また、純愛とはいうものの右衛門佐が最初から綱吉に惹かれていたという気持ちが見えにくく、序盤にもう少し分かりやすくそういうシーンを挟んだ方が良かったのではないかと思う。私が見落としたのかも知れないが。この辺は原作はどうだったかな。後で読み返してみよう。

個人的に良かったところは右衛門佐と柳沢吉保の初対峙シーン。緊張感があって良かった。綱吉が狂気じみた笑いを見せるシーンも良かった。カンノちゃんはもう少し将軍の貫禄があればなお良かったかな。みなの前で跡継ぎを発表するシーンとかはもっと腹から声を出して欲しかった。綱吉は将軍らしい高潔さと娼婦のようなセクシーさと両方必要な役で、かなり難しい役。カンノちゃん以外だと年齢的にまだ若すぎるが吉高由里子さんとか良かったかも知れない。桂昌院役、西田敏行さんは重苦しいお話しの合間に笑いをもたらす息抜き的な役割。いいアクセントだったと思う。

総じて、テレビ版の家光(多部未華子)と有功(堺雅人)の物語に比べると綱吉編はどろどろしていて救いがない感じ。どの人物にも感情移入しにくい。衣装は豪華で画面はきらびやかなのだけど。これから見に行こうと思われている方は「究極の純愛」という謳い文句に騙されぬように。純愛という意味ではドラマ版の家光・有功の方が純愛っぽいです。綱吉・右衛門佐の場合純愛というより結構歪んだ愛情だと思います。それを納得された上で映画館へどうぞ。いろいろ文句書きましたが多くの人に観て欲しい作品だとは思ってます。